野焼き R4 2月26日

今年は好調!

令和4年の大矢野原の野焼きが2月26日土曜日に行われた。 例年2月最終週から3月にかけて毎週土日が野焼きの候補日となるがまず最初の候補日で野焼きが出来たことはない。 今年は数日前から好天が続き当日は朝から快晴だ。 それに風がほとんどない。 申し分のない条件が揃う。

地元と自衛隊の共同作業

大矢野原は自衛隊の演習場だ。 帝国陸軍の時代から演習場として活用してきた。 地元民は昔から牛馬の放牧や冬の牛馬の飼料となる刈干し切りの場として活用してきた。 演習場として活用するために牛馬の飼育をするために大矢野原は昔から重要な場所だった。 野焼きは数百年続いている重要な行事だ。 現在地元では牛を飼育している農家は激減した。 それでも地元には入会権があり大矢野原を使用する権利がある。 権利がある以上義務があるのが世の常だ。 地元民は野焼きに参加する義務がある。 地区の住民の20歳から69歳までの男女は各家から一人参加しなければならない。 参加しないときは出不足金というペナルティが課される。 野焼きは地元と自衛隊との共同作業で行われる。 

野焼きのチーム

自衛隊と住民はチームを作り野焼きを行う。 役割分担は地元民が火を漬け自衛隊が火を消す。 地元は4地区およそ150名前後自衛隊もおよそ同数参加約300名で作業にあたる。 12チームからなりチームごとに分担場所が決まっている。 野焼きの場所は大きく上部地域と下部地域に分けられる。 うちのチームは自衛隊員13名地元民12名だ。

出発前 自衛隊車輛
出発前 地元民車輛

野焼き開始

私は今年野焼きの上部地区のチーム責任者を任せられた。 気軽に引き受けたが、野焼きの前日 地元の先輩から現場を回りながらレクチャーを受けた。 責任者は初めてなのでレクチャーを受けるほどに気が重くなる。 気を付けなければならないことが色々あることが改めて判る。 これまではチームの一員として参加していたので気楽だった。 気軽に引き受けたことを後悔した。 当日上部地域チームは7:30に集合し注意事項などを聞き同じチームの自衛隊の方たちと顔合わせをする。 7:55自衛隊の車輛に同乗し待機場所まで案内する。 8:20ごろに現場に到着。 そこは演習場と国有林の境界部分だ。 国有林との境界は自衛隊により大きな防火帯が作られている。 これだけ広ければまず延焼はないと思われるが油断はできない。 防火帯上に4地区のチームが所定の場所位置取り各チームが順番に火をつける。 うちのチームは3番目だ。 

自衛隊チーム
地元の人たち
演習増場なので普段はここには来れない 眺望バツグン

着火

待つこと約2時間 10:15に前のチームが着火した。 前チームが防火帯沿い火をつけてくる。天気はとてもよいが朝の厳しい冷え込みで霜が解けず思いのほか火が燃え広がらない。前のチームは苦戦している。

他地区のチームが着火した 相当に広い防火帯

10:30我々のチームも着火した。着火するがなかなか燃え広がらない。 しかし消す人はすぐにその場を離れられないのでチームの先頭と後尾の間隔がどんどん広がる。 チームの間隔が広がると混乱が生じ始める。 自衛隊員で野焼き経験のない人や地形に詳しくない人は道に迷ったり他のチームに混ざったりする。 最初私は後方にいたが間隔が広くなりすぎたのでチームの先頭に追い付こうと急ぐ。 谷の登りおりはきつい。 なんとかチームの先頭に追い付くが一部の人は他チームに混ざり込んでいた。 急ぎ誘導しチームに戻す。

灯油バーナ

午前11:30を過ぎたころから火の回りがとてもよくなる。 火の回りが良くなると他のチームの状況や自分のチームの状況に気を付けないといきなり炎が迫ってきたり他のチームを危うくしたりする。

着火風景 11:30すぎたころから着火したらすぐに火が燃え広がる

12:30から13:15まで昼食をとりさらに火をつけながら下る。 13:30ごろ下部のチームと合流する。チームが増えたら状況はさらに複雑になるのでことさらに気をつけないといけない。 15:30野焼きは無事終了した。

午後からは着火するとさらに急激に燃え広がる

野焼き終了

15:30野焼きは無事終了した。 誰もケガや事故もなく終わった。 今年の野焼きの出来は上々だ。 4月になればきれいな緑の野となる。 今は牛馬はほとんどいないがこの緑の野と暮らすことが出来るだけでありがたい。 同じチームの自衛隊の方たちともここでお別れだ。 短い時間だが一緒に危険な作業をやり遂げると友情が芽生える。 一諸に仕事が出来てほんとに楽しかった。 日本はこれから困難なことが起きるだろうが自衛隊の存在はとても心強い。 皆さんお元気で! また会いましょう!

夏の大矢野原